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『酒造りへのこだわり、終わらない挑戦』米島酒造

『酒造りへのこだわり、終わらない挑戦』米島酒造

米島酒造は1948年に創業した久米島の酒蔵。家族4代に渡り、こだわりの泡盛を作り続けています。島内で8割方消費されてしまうため、実は島外に出回ることがほとんどない幻の泡盛。そんな米島酒造のお酒造りのこだわりを伺ってきました。

 

お酒造りは原料のお米を蒸すところから始まります。

「酒造りは蒸しで70%決まる」

そう教えてくれたのは、米島酒造の4代目、田場俊之(たば・としゆき)さん。

実は沖縄にある46の酒蔵所の90%以上が同じお米を使っているそうです。この後の工程で、各酒蔵所の味の違いが作り出されるのです。その日の気温、湿度、米の状態などにより、洗米の時間や蒸しの時間を微調整します。

 

その後は大切な麹造り。使用している麹は『黒麹菌』と言い、沖縄独自の麹なんだそうです。専用の機械の中で温度を調製しながら、菌を育てていきます。

こうして作った麹菌を水と酵母と混ぜ、「もろみ」を作ります。

もろみにする工程は約20日間ほど。

その後、蒸留機にかけお酒を抽出します。

蒸留後はかめで貯蔵。

かめの種類によって熟成の度合いが変わるため、蒸留をしたときは同じだったお酒も徐々に味が変わっていきます。こうして違うお酒に熟成させたのち、ブレンドさせて一定の味を作るのだそうです。

 

「違う酒を造るのも大変だし、同じ味を作るのも大変なんですよ。」

 

こうして作られた米島酒造の泡盛は各所で高い評価を受け、2000年に開かれたG7(主要国首脳会議)で提供されたカクテルに使われたこともあるそうです。

俊之さんが引き継いでから現在18年目。納得のいく味を作れるようになるまでは多くの失敗も経験してきたそうです。

「一度香りを華やかにして甘さを濃く造ったら、島外からは評判が良かったけど、島内からは「刺身と合わない、料理と合わない」と言われたんです。やばい!と思って1か月で戻しました、笑」

 

「ただの飲みやすい酒にすると、飲みやすいように作った価格の安いお酒にお客は流れていく。うちの味を残しつつ、他のお酒との違いを作っていくっていうのが難しいところ。美味しいと言われる中でも他と離れた美味しいを作れたらなって。」

 

ドラマ『ちゅらさん』が流行った頃、全国的に泡盛ブームが起きました。当時は作っても作っても生産が間に合わなかったそうです。しかし、ブームが去り、泡盛の取引量が減少した今、他と差別化するために独自の魅力を打ち出す必要がありました。米島酒造がたどり着いたのは、まず島民に愛される酒を造ること、ある種ガラパゴス的なお酒造りなのでした。

酒蔵の規模もあり、島外にほとんど出ない米島酒造の泡盛。流通させているのはわずか3種類だけ。それも限られた飲食店や業務店でしか販売していません。そこには俊之さんの、お酒に対するただならぬこだわりがありました。

 

「生産量が限られているので飲み手さんと距離の近い場所で提供したいんです。」

「自分の飲んでいるお酒を誰が、どこで、どういう想いで作っているのかを聞くと、同じ一杯を飲むにしても味覚や感情は変わってくる。そういった説明をしないと良さが伝わらないんです。」

 

知識がないと見えないもの、感じ取れないものがあります。飲み手に誠実に、一杯一杯を大切にする。そんなあり方が多くの人に愛され、評価されている理由なのかもしれません。

 

最後に、お酒造りにおいて大切なことは何かを聞いてみました。

「チャレンジする精神ですかね。これ一番大事ですよね。年齢に関係なく何でも勉強して、人の話を聞くこと。まだまだ学ぶべきことは多いですし、酒造りには正解がないですからね。」

島人に愛される味を守りながら、挑戦を続ける米島酒造。人はついつい、新しいものに目移りしがちになりますが、変えるべきものと変えるべきでない大切なものがある。そんな教訓を教えてくれた気がしました。

インタビュー:岡本耕平