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久米島へUターン★宇江城 久人さん [2016.7 interview]

久米島へUターン★宇江城 久人さん [2016.7 interview]

  • 宇江城 久人(うえしろ ひさと)さん
  • 2003年にUターン
  • ラジオ局「FMくめじま」勤務
  • 久米島町出身

久人さんは久米島の有名人です。島を歩けば皆に「マンデーさん」と声をかけられます。そんな「マンデーさん」は、久米島生まれ・久米島育ち、大学進学で島を出て、その16年後の2003年島へUターンしました。島を出た時、そして、島へ戻ろうと思った時、そして、今の久米島での暮らしと久米島への想いについてお話を聞かせていただきました。

「毎日楽しいことばかり。仕事も楽しい。楽しいことしかしてないな・・・。
これが「島」なのかな?」 

 マンデーさんは、久米島のラジオ局「FMくめじま」に勤務しています。ラジオパーソナリティーであり、営業マン。
「マンデー」の愛称は、パーソナリティーを始めた時、幾つかのニックネームの中から、自ら選んだお名前だそうです。

Q マンデーさんは久米島生まれなんですよね?
A そうだよ。久米島生まれ、久米島育ち。18歳までずっと久米島。大学進学で沖縄本島へ進学した。


Q 久米島には大学がないですからね。もしもですが、久米島に大学があったなら、マンデーさんは久米島で大学へも進みたかったですか?
A いや、それはない。やはり一度出てみたいと思ったし、そこで実際いろいろな経験とつながりが出来たしね。大学時代は1年間法政大学に留学して、その後約1年は休学してアメリカへ行っていたんだ。

 

「チャンスは転がってるし、それを掴むのは自分だからね」 

Q アメリカは1年間どこに住んでいたんですか?
A ロサンゼルス!1年じゃないね。10か月。なぜなら、沖縄では2月と3月は“きびかり”で手伝いに戻らないといけないからね。

Q それはどこに居ても(アメリカに居ても)絶対なんですね(笑)!そして大学卒業後は沖縄本島で就職をしたんですね?
A 就職するとき、“沖縄県にある全国区の企業”に就職しようと思ったんだ。なぜなら、全国区企業だったら、出張などでいろいろなところに行けると思ったからね(笑)そして、それはその通りで、沢山いろいろなところに出張や研修で行かせてもらって・・・だから今でも各地に仲間がいるよ。

Q やはりそこでも“営業”をされていたのですか?
A そう。10年間営業。楽しかったな~。厳しい研修なんかもあったけど、そこで縦社会の厳しさとか、営業の気持ちの持ち方とか学んだことが、今もすごく役に立ってるよ。



「島のために何かできないか。島に対する想いはずっとあった。」 

Q 就職後、いつかは久米島へ戻ろうと思っていたのですか?
A 本島に居た16年の間もずっと、盆や正月、エイサー、島のソフトボール大会まで!島の行事にしょっちゅう戻ってきていて、やっぱり島はいいなぁとずっと思ってはいたよね。

Q 実際、久米島へ戻ろうと思ったきっかけなどはあったのですか?
A 戻りたいとは思っていたけど、でも仕事がないからなぁ・・・と。そしたら、身内が島でホテルオープンして、そこで喫茶店が出来ることになったんだ。「仕事が出来た!」それがきっかけかな。

Q 久米島へのUターンを決めた時、迷うことなどはなかったですか?
A なかったね。でも、“自分の自由で動ける状況であったから出来た”というのはもちろんあったと思うけどね。

Q 10年間、当時勤めていたUCCでコーヒー販売していた営業マンが、次は喫茶店でコーヒーを淹れることになったんですね!
A そう。喫茶店のマスターに転職。UCCでは、まさか自分が辞めるとは思ってもなかったと思うけど、沢山の良い上司、仲間がいて、円満退社させてもらってね。その1か月後には喫茶店のマスターになってた。

毎年参加してきた久米島行事の一つ「ハーリー」:漁港で行われるサバニと呼ばれる伝統漁船を使ったレース。

「郷友会・商工会・青年会でのつながりがとても大事。
喫茶店もラジオ局も、すべて“つながり”があったから」 

Q 喫茶店は何年くらいやっていらしたんですか?
A 9年半だね。業務設備も自分で揃えて始めたんだよ。コーヒーはドリップして淹れてさ。

Q 今お勤めの「FMくめじま」は開局4周年とお聞きしていますが、マンデーさんはいつ頃こちらに転職されたんですか?
A 開局するときに、知り合いであった担当者の方から、どんなラジオ番組をしたら良いかなと意見を求めてもらったことがあって、その時に「スポーツ番組とかいいじゃないですか?」と言ったら「番組やってよ」ってなって(笑) 最初は、喫茶店の定休日の水曜の夜だけ1時間参加してた。でも開局半年くらいの時には、パーソナリティー兼営業としてここに居たね。喫茶店も始めてもうすぐ10年ってところだったし、なかなか経営も厳しくなってきたところだったし(笑)でも、それもこれも、島の商工会や青年会に入って、いろいろな人とつながっていたからできた縁かなと思うね。

Q 郷友会というのは、東京にもあるのですよね?
A そう。東京には大きいのがあるよね。自分は、本島の郷友会にずっとつながっていたし、それは今でも大きな人脈であり仲間になってる。是非、島外の久米島人は郷友会に参加してほしいと思う。自分も、島を出て16年して島へ戻ったわけだけど、それでも新しい仕事を得たり、会社に入ったり出来るのは、郷友会や島の商工会・青年会での“横のつながり”のおかげだなと思うところも大きいからね。



「久米島は水も空気も土も豊か。いろんな意味で活かしていかないと
 もったいない!」 

「久米島は水も空気も豊かでしょ。自給自足だって出来る島なんだよ。土だって、沖縄県内の土は全部あるんだ。そういったところもいろんな意味で活かしていかないともったいないよね。チャンスや可能性をいっぱい秘めている島だと思うからさ。後は、島に戻って仕事をするにあたって、持っていると良い資格とかいろいろあると思うんだ。だから、今、島で会社を経営されている方なども、こんな資格持っている人に是非来てほしいとか、こんな資格を持っていると活躍の場が広がるよ、とかどんどん発信してもらいたいなぁと思ってる。それは、戻る人だけでなくて、島のためにもなることだよね。」


Q 久米島へUターンして16年。これからはずっと島で暮らし続けたいと思っていますか?
A ずっと島がいいね。“人”もみんな楽しいし、何もしなくても安心して穏やかな精神で暮らせるというか。そうして、いろいろ忙しいながらも楽しく仕事して、好きなところへ行く。自由気ままにずっと楽しく暮らしていきたいと思ってるよ。
―koborebanashi―
m : ラジオ始めるときに、名をなんて名乗ろうかなと思ってね。「宇江城です!」では、島にいっぱいおるし「久人です!」は、なんか嫌だなと(笑)それで以前から呼ばれていたニッ クネームの「ボブ」か「マンデー」にしようと思って。「ボブです!」………「水曜だけどマンデーです!」最初のラジオが水曜日の番組だったからね!!

izumi : これだ!って感じですね(笑) 
~Thank you~