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久米島へUターン★島袋 航弥さん [2017.1 interview]

  • 島袋 航弥さん
  • 2016年にUターン
  • ゆくい処(食事処)『笑島』店主
  • 久米島町出身

航弥さんは、久米島生まれ久米島育ち。7年前、久米島高校を卒業後、調理師学校への進学のため島を出ました。調理師免許を取得し1年で学校を卒業後、京都の料亭へと就職。そこで5年程務めた後、昨年2016年に久米島へUターンしました。
同級生の奥様とともに、かわいい2人のお子様の子育てをしながら、京都で積んだ料理人としての経験を元に、久米島で、ゆくい処『笑島』を開店。島へ戻ろうと思ったきっかけ、そして、新しく始まった島での仕事と子育てについて、そして今、あらためて島に暮らして感じる想いをお聞きしました。


自分は本当に野生児でしたね(笑)。 

Q 航弥さんは、久米島出身なのですよね?高校卒業まで、久米島にいらしたのでしょうか?
A はい。生まれも育ちも久米島で、久米島高校卒業後に、那覇の調理師学校への進学のため島を出ました。

Q 現在25歳でいらっしゃるとのことですが、高校卒業時に島を出る時点でも、『いつかは島へ戻って暮らしたいと思っていらしたのですか?
A そうですね。自分自身、久米島での子ども時代がとても良かったので、当時から自分も子育ては島でしたいと思っていました。

Q 航弥さんの子ども時代…10年~20年くらい前というのはどの様な“島ぐらし”だったのですか?
A 自分は本当に野生児でしたね(笑)。周りにもそんな同級生が多かったですから楽しかったですよ。自分達の年が特別活発だったのかもしれませんが。小学生なのに、持ち物は“モリ”や“釣り竿”、それから“鍋”とか…。とにかく毎日、海か川に居る感じでした。

Q モリや釣り竿は、『魚を釣りに行くのだな』と想像できるのですが、“鍋”は…?
A あぁ…“ガスコンロ”担当もいました!海で魚を釣ったり潜って捕まえたりして、その場で焼く、もしくは“鍋”で味噌汁を作って皆で食べてました。

Q 小学生が、味噌汁の鍋を囲んでいる感じですか(笑)!?
A そうです。捕まえた魚は自分達でさばいたり…自分はその頃から料理も好きでしたね。最近の小学生は、モリも鍋も持ち歩いていませんけどね(笑)

「子育ては久米島で」 

Q ちなみに航弥さんの同級生で、今現在、島に暮らしている方はどのくらいいらっしゃいますか?
A 少ないですね。20人程じゃないでしょうか?同級生は130人程いて、そのうちの20人ですからね。久米島高校以外の高校(沖縄本島など)へ進学する人が40人弱いたので、その時点で既に、島にいる同級生は90人程。そして高校卒業時には、進学や就職で一度島を出る人がほとんどですからね。

Q 現在、島外で働いている方で、「島に戻りたい、暮らしたい」と言っている方は、航弥さんの周りではいらっしゃいますか?
A 結構いると思います。ただみんな「仕事があれば。」と言いますね。また、仕事はあっても、現在、島外で働いていて得ている収入面などの条件で考えると、また少し考えるべきところや悩む点なども出てくるのではないでしょうか。

Q 航弥さんは、高校卒業後約7年を島外で過ごした後、久米島へUターンをされていますが、それは、計画していたタイミングだったのですか?それとも、何かきっかけがあったのでしょうか?
A 自分の場合は、二人目の子どもが生まれたのがきっかけですね。今、長男が3歳、長女は一昨年生まれました。もともと「子育ては久米島で」と思っていましたから、このタイミングになりました。島を出た時の漠然としたイメージでは、「30歳くらいで島に戻ろうか」と思っていましたが、実際は、子どもの誕生がきっかけとなり、24歳に戻ることになりましたね。でも、島へ戻って、ある意味「一から仕事をする、築いていく」のならば、早い方が良いかもとも思いました。

「24歳で自らの店、ゆくい処『笑島』を開店」 

Q 先ほど、同級生の中には、今は島外で暮らしているけれど、「出来れば島に戻り暮らしたいと思っている方も結構いらっしゃる」とのことでしたが、その際、「仕事」や「収入」が課題になっているご様子ですね。航弥さんの場合は、その点はどのようにお考えになっていましたか?
A 自分の場合は、調理師免許を持っていて、そのうえで仕事もしてきたので、島中の「調理師」としての職場はいくつかご紹介を頂いていました。だから、「仕事を探さなきゃ」という問題は、有り難いことに無かったです。また、親が島で商売をしている関係もあって、自分が戻る前から「もし島に戻ってくるなら…」等と周りから声をかけて頂いていた状況もありました。そして、結婚式を久米島で行ったのですが、その時に直接そういった話を頂いたりもしていましたね。

Q でも実際は、島へ戻ると同時に、ご自身のお店、「笑島」を開店されることに決めたのですね?
A はい。京都で働いている当時から、テレビ電話で指示をして店の建築工事を始めていました。店の隣が実家の花屋、後ろが父のやっている畑なのですが、もともと実家の庭であったこの場所を使わせてもらって、自分で店をやることにしました。島の大工さんにお願いして建築しましたが、内装の一部は自分でも手を入れました。開店の為の補助金等は使わず、自分の力で出来る設備投資をして開店しました。

Q ではまさしく、島へ戻ると同時にお店がオープンするという感じだったのですね。
A そうです。ゴールデンウィークには開店すると公言もしていたので大忙しでしたが、予定通り、昨年4月29日に開店することが出来ました。最近は少し落ち着いてきましたが、午前中はお昼に店頭で販売するお弁当の準備、そしてランチタイム、午後はカフェ、そして夜の営業(夜は貸し切りでプライベート空間での提供が主※要予約)。ゆくゆくは、島ならではの食材を使ったコース料理なども考えていきたいとも考えています!

上記写真は、昨年10月に久米島で開催された「大地の料理会2016in久米島」(大田哲雄シェフと島内外の参加者が共に島の食材に触れる料理の祭典)の様子。そこへ航弥さんは、島の料理人として依頼を受け参加。
島外参加者への朝食には、釜戸で炊くご飯のほか、卵焼きに腕を振るいました。シェフ大田さんとの出会いの中では、料理人としての自分の技術やモチベーションについて話を聞くことが出来、また、新しい“つながり”が出来たことも良い経験だったと、航弥さんは話してくださいました。

「やりたいことを出来る様にするために、今は今やるべきことを」 

Q 島へ戻ってきて、これからの「久米島」について、何か思うところなどはありますか?
A そうですね。子育て・教育面については、やはり、子どもに自然をいっぱい見せてあげられるのはとても良いと思っています。今朝も長男と一緒に、魚のセリに行ってきたんですよ。釣りも2歳から一緒にやっています。自然が多いところでは、「自然の中にある緊張感」や「海の中ならではの緊張感」の様なものも養っていけるのではないかと思います。

それから、島全体を見て思うことは、「何かもっと出来ることはないかな?」と考えますね。自分は、「お店」という目線から考えることが多くなりますが、島では、個人個人の頑張りが多い様に見える部分があるので、もっと横で繋がるというか、グループの様に繋がって協力し、“モノ”や“時間”などいろいろなもののロスを少なくするような“しくみ”や“流れ”が出来たら良いなと思います。

また、自分は若手であり、声に出して言いずらい部分が正直なところ、まだまだないとは言えませんが、でも、想いとしては、島に戻って暮らしたいと思っている仲間(同級生)や後輩などを、ゆくゆくは自分のところでも雇用出来るくらい、それくらいに頑張っていきたいと思っています。今はまだ、やりたくても出来ないことも沢山ありますが、今は「今出来ること」を着実にやって、そして、将来出来たら面白いなと思うこと、やりたいことをもっと実現できるように頑張っていきたいと思っています。

ゆくい処「笑島」は高台にあり、海を全面に臨む絶景です。お店の裏には人懐こいヤギのファミリーも暮らしています。航弥さんの作るお料理やお弁当、他店内写真などは、ゆくい処「笑島」のFBでご覧になれます。店内には、キッズスペースも。

そして航弥さんは最後にこのようにもお話してくださいました。

ー今自分は25歳で長男が3歳なので、息子が高校を卒業してもその時自分はまだ40歳手前なんですよね。そう思うと、その時にまたやりたい仕事とかやりたいことが出来る、やるんだろうなと思うと、今はこの店でしっかり働いていこう、と思います。ー

インタビュー当日、お話を伺うためにお店「笑島」へお邪魔すると、かわいいかわいいご長男と、今一緒にセリでゲットしてきたという巨大なお魚とともに航弥さんがご登場されました。とーってもかわいいお子様!と、そして25歳とお聞きしてびっくり!!してしまうほどしっかりしたお父さん:航弥さんでした。航弥さんの島での子ども時代のご様子などをお聞きすると、ご本人も言う様に、相当「野生児」であり「やんちゃっ子」であったのだろうと想像できます(笑)が、そのような中にも、高校卒業時の専門学校進学の際のエピソード(数ある学校の中から自ら探し、見学へ足を運び受験を決める。さらに、特待生でなければ行けないという思いからしっかりと特待生制度で合格。)や、京都の料亭へ就職を決めた芯のある目的や、そこでの料理人としてのキャリアアップの速さや計画性、そして家族が出来て、島へ戻って新たな基盤を作るその決断力や行動力は、航弥さんが島での子育てについて話されていたように「島の自然の中で培われたもの」も大きく生かされている様に感じました。

「島の中では、若手だから出来ることもある。でも、若手だから大変なこともある。それでも、若いみんながもっと島に戻って、一緒にやれたらいいなと思う」と、航弥さんは話されます。航弥さんだけでも十分力強い!ですが、もっとUターンする若者が増えたら、もしかすると「今やりたくても出来ない何か」が一つ、また一つ、と島で出来るようになったりしていくのかな?と、そういった視点からも、久米島Uターンが増えることを楽しみに想像しました。インタビューのご協力、誠にありがとうございました。

ーkoborebanashiー
izu:航弥さんの「これまでの歩み」を聞いていると、着実に目的としたことを得て進んでいる感じがしますね!
ko:自分は運がいいんです。本当に運がいいんですよ。そう思います。
izu:「運がいい方だと思いますか?」と聞かれた時、「運がいいと思う」と答える人は、自分の環境や周りの人に、自然と感謝の気持ちを持っている人。だから、これからも「運がいい」状況を作っていくことが出来る人…と、以前どこかの何かで聞きました(笑)