久米島 島暮らしガイド

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久米島へIターン☆森島喜一さん[2016.8 interview]

  • 森島喜一さん
  • 1988年に移住
  • 久米島珈琲「Spiral」店主
  • 大阪府出身


今回は、久米島でレゲエバー『久米島珈琲 Spiral(スパイラル)』を経営する森島喜一(キイチ)さんにお話を伺ってきました。喜一さんが久米島へ移住したのは1988年。まさに、バブル景気真っただ中の時。どんなきっかけで「久米島」へ移住することになったのか、そして、大好きな音楽の溢れるBAR「Spiral」を開店するまでの経緯などをお聞きしました。大阪から“3か月”の予定で久米島にリゾートバイトへ来て、そして今、喜一さんの久米島生活は28年目を迎えます。

大きく盛った頭に帽子。そのレゲエファッションは島へ来たときから一貫している、喜一さんの生き方の一つ。

「1週間後には「住めるな」と思った」 

Q 喜一さんは大阪出身と伺いましたが?
A そう、生まれも育ちもずっと大阪でね。リゾートバイトで久米島に来たのが1988年になるのかな。

Q リゾートバイトということは、その時は学生だったんですか?
A いや、もうばっちり働いてたよ(笑)学校卒業してから、父の家業を継いで6年くらい働いてたんだけど、その頃はバブルでね、仕事が終ると友達と夜通し遊ぶっていう日々を送っていて…でも、その遊びも含めて「ちょっと違うな」と思う様になったとき、いったん「リセットしたい」と思って3か月間リゾートバイトへ行くことにした。それが久米島だった。


Q なるほど。場所はなぜ「久米島」だったんですか?マリンスポーツをしていたとかですか?
A そう。波乗りが好きでね。大阪に居た時は和歌山の海に通ってた。当時「リセットのため」の場所が久米島になったのはたまたま。見つけた“海のバイト先”が久米島だった。でも、そのとき来たのが久米島じゃなかったら、ずっと暮らすことはなかっただろうな。「久米島だったから」なんだよね。

Q 「リセット」するために来たということは、最初から移住検討だったわけではなくて、逆に「戻るため(当時の仕事や生活を続けていくため)」に来たということですよね?
A そうだよ!継いでいた家業も「自分には合わないな…」と思いつつも、それを続けていくための「リセット」だったわけだから、最初は3か月終わったら大阪に戻る、というか逆に、ずっと大阪に暮らしてきた自分が、3か月も島でもつかな?って思って来た(笑)でも来てみたら、1週間後には「住めるな」と思った。

喜一さんは当時の大阪での生活について「家業を継いで働いていて、親父も自分に厳しくしっかり仕事を教えてくれていた。そして、バブルの頃だったから、仕事が終れば仲間と朝まで遊ぶ生活をしていた」と話します。それは一見、20代の若者にとっては、“仕事も遊びも忙しいー楽しい時代”にも見えるのですが、喜一さんはその時の事を次のように思い返します。

 

 

「世界が広い様で狭かった。全てが“利害関係”だった」 

Q 3か月のバイトが終わってからはどうしたんですか?
A バイトを延長して暮らしてた。島は大阪とは違って、夜は町も真っ暗で、ある夜「お腹すいたな」と思って外に出たけど本当に真っ暗でお店もやってなくて、そのまま歩いたら遭難しそう(笑)だったから、水だけ買って帰ったこととかもあったね。でもそんな久米島での生活が全然苦痛じゃなくて、自分には刺激的だった。大阪では仕事も遊びも全てが“利害関係”で出来てて。だから、自分にとっては久米島は「楽」だった。

Q バイトを延長して生活をしていた中で、「このまま久米島でBARを開店しよう」と思ったんですか?
A いや、バイト先であったホテルの中に、その頃、貝殻アクセサリーを作って売ってる店があったんだけど、ある時その店をやってた人が島から出ることになって、それを自分が継ぐことになってね。当時はバブル景気だったし、浜には今よりももっといっぱい貝殻もあって、結構儲かった。

Q そのお店はどのくらい続けたんですか?
A 2年くらいかな。そしてその仕事でお金が出来て、仲間と一緒に「島には“宅配ピザ”がないからやってみるか」ってことで、アパートの1室を借りて、そこでオーブンでピザ焼いて、宅配ピザ屋を始めた。面白かったよ。ある時は「ハテの浜」から注文が入ったりしてね(笑)。

Q それは届けたんですか!?ハテの浜に??
A 届けたよ(笑)船にピザ積んでね。


“ハテの浜”までは船で20分程…。


「店舗探しは“口コミ”と直接交渉」 

Q ピザ屋がアパートの1室だったということは、今のお店「Spiral」とは別な場所だったということですよね?
A そう。最初はアパートで宅配ピザをやってたんだけど、お客さんから「お店で食べたい」って声が出て、それで店舗を借りることにした。

Q お店を借りるのは不動産屋経由?じゃないですよね。特にその頃はまだ。
A 大変だったよ。島の子から「あそこに空いてる店があるらしい」と聞くと、大家さんを調べて訪ねて行って、自分たちで直接交渉してた。

Q では、そこで借りたのが、今の「Spiral」の前身ですか?
A いや、まだ(笑)。その後、今度はお客さんから「お酒も飲みたい」って声が多くなって、いろいろお酒のリクエストに応えて取り寄せたりするようになった。それも面白かったよ。「このお酒が飲みたい」って言われても、島には限られた種類しかなかった(当初はお酒も3本くらいしかなかった!)から、内地の仲間に聞いて調べて取り寄せて。だから「このお酒が飲みたい」と言った人は1週間後にそのお酒が飲めるんだよね。今思えばそういうのも楽しかったのかもね。そうしてお酒を出すようになってから、ピザ屋の開店時間が“15:30から”とかになってね(笑)

Q なるほど。そうして、BARの開店へと道がつながるというか、進むわけですね(笑)!では、今の店舗は、どのよう借りたんですか?やはりまた、口コミ情報からの直接交渉ですか?
A いや、この店(『Spiral』)は、「縁」と言うかな。島へ来て初めて自分でアパートを借りた時の大家さん(自分にとっては、島での親みたいな存在なんだけど)が「新しく店舗用の物件を建てるから、借りなよ」って。「まだ家賃は決めてないけど」とか言われながら(笑)


喜一さんは、「全部お客さんが言ったことをやっただけ」とお話しされますが、それが「島で暮らす人が求めたもの」であり、その流れの中にいて喜一さんは自分が出来ること、やりたいことを一つづつ行動したんだな、と感じます。そして、それが一貫してとても自然体な気がしました。出来ないことは無理してしない。でも出来ることはちゃんとやる、と。また、今の素敵なお店『Spiral』については、移住して数年暮らして、そこで出来た縁(喜一さんが作った縁)から生まれたものだったと知ることが出来ました。


「100%久米島産の珈琲を目指して」 

Q 「Spiral」では、珈琲豆も自分たちで育てる取り組みをしていて、豆袋も自作されているとか?
A 豆の栽培は、今取り組み中といったとこ。袋はシルクスクリーンでロゴを一つ一つ全部刷ってるよ。今は“100%久米島産の珈琲”を目指しているとこだね。

久米島珈琲を出す「Spiral」。豆袋の印刷はシルクスクリーンで手作り。
メジャースプーンは久米島の木工職人の方と試作中。


Q そして、「ワンラブ久米島フェス」について聞かせてください。あのフェスは、喜一さんが始めたと聞いたのですが。
A うん、まぁ。あるとき、ジャマイカ政府観光局の人がきて、島でレゲエイベントをやってみたら?って話で、でも、どうやって人を集めるのか、アーティストをどう呼ぶか、ステージをどう借りるかとか、すぐには出来ないから、1年くらいいろいろ考えて、それで「やってみよう」と。

Q 何年前から開催しているんですか?HPとかポスターとかすごく立派で素敵で、大きなイベントだなと思って。
A 今年で5回目になる。最初に話を持ってきてくれたジャマイカ政府観光局には後援についてもらって、それから観光協会や役場と連携して交付金なんかも利用してね。3年目からは皆と「ワンラブ実行委員会」としての活動になってる。最初一緒に始めてくれた島の仲間には、「最初は大変だけど、5年後とかには“このイベントに、自分は最初から参加してきたんだ”って誇らしく思えるイベントにしていこう」って言って、皆とやってきた。


「この環境で音楽が聴ける。それは、『最高』のこと」」 

Q ほんとにすごいですね!変な話ですけど…それは、収入というか利益が生まれるものなんですか?
A いやいや、最初は借金。

Q それは、レゲエが好きだからやろうと思ったんですか?
A レゲエだけじゃないよ。沖縄の音楽も好きだし。いろいろ入れてる。自分からもっと“繋ぎたい”と思ったんだよね。それに何より、この環境(久米島)で音楽が聴けるというのは『最高』だと思う。本島にはないこの環境での音楽なんて最高でしょ!?この環境(島)を今までこうして作って守ってきてくれた人たちにとても有り難いと思うし、それはすごいと思う。その、もともとある「島」と「音楽」を、繋ぎたいってことかな。

Q 最後に、この28年久米島を見てきて、「何か変わったな」など、感じることはありますか?5年前と今を比べても、今は外からもだいぶ久米島の情報を知ることが出来るようになった、などといった変化をお聞きすることもあるのですが。
A 逆に、今は情報が多すぎると思う。久米島へ住もうと思って来る人の中でも、「最初の情報ありき」で考えてしまうとちょっと違うかなって。例えば、「この植物はこの季節に育つ」って情報で来てみても、島に来てみたら違ったりする。島ってそういうとこだと思うよ。本を買ってみても、それは内地の情報。植物を植える時期も違うんだよ。それは、来てみないとね。


そして喜一さんは、今尚続いている自身の久米島暮らしについて、こう話しておられました。

「今も異文化を習いながら住んでる。だから、面白い」

「無理はしない。自然体が一番。自分の家に居るのに気合入れてる人とかいないよね。」

―koborebanashi―
「夢つむぐ島 久米島」
喜一さんの「100%久米島産珈琲」や「ワンラブ久米島フェス」のお話を聞いていて、生活の中『夢』があるって、こういうことなのかなと感じました。喜一さんは「夢」という言葉など使わないし、また、気負ってる感じも全く(笑)なかったけど。でも、お話を聞かせていただいた後は、「なんだかすごくいいお話、良い時間をもらっちゃたなあ…」と思いました。

喜一さんが島へ来て28年。変わらぬレゲエファッション。それは喜一さんのポリシー「人は見た目じゃない」。喜一さんは島でイベントがあれば出張珈琲スタンドを出店したり、ビーチクリーンについては、沢山の島の人と共に長年続けていると聞きました(ご本人からではないけれど)。

そうして、気負うことなく、でも、島や島人へ対して当たり前に持ち続けていた感謝の気持ちで生活をしてきたその結果、その先に自然にあるのが、今日うかがった『今』なんだなと感じました。最後に…このBARカウンター…最高。ーizumiー

~Thank you~