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久米島へIターン☆神田ゆり子さん [2016.7 interview]

久米島へIターン☆神田ゆり子さん [2016.7 interview]

  • 神田ゆり子さん
  • 2014年に移住
  • ホテルフロント勤務
  • 東京都出身

東京生まれ東京育ちの神田さんが、久米島へ移住して1年8か月になります。東京で約9年という年数、バリバリと楽しく“システムエンジニア”のお仕事をしていた神田さんは、旅行で度々沖縄を訪れては「いつか沖縄に住みたい」と思っていたと話します。その“いつか“をどのようなきっかけで手にしたのかお話を聞くことにしました。

「ダイビングができればそれでいい!と移住した。でも、今ある心境
 や状況は、自分でも意外なものでした。」 


Q 神田さんは、「とにかくダイビングがしたくて久米島へ来た」と伺いましたが、ダイビングはいつ頃始めたのですか?
A 初めて潜ったのは19歳の時、沖縄の海でした。それは自分にとって大きな衝撃で、すぐにライセンスを取りたいと思ったのですが、結局その後は仕事に没頭する日々が続いて、なんと、次に潜ったのは10年後だったんです。


Q 潜っていなかった10年の間も、沖縄へはよく旅行に来ていたとか。
A はい。何度も訪れていましたが、ダイビングの機会はなくて。それが、20代終わりの旅行で久しぶりに潜って、やはり大きな衝撃を受けたんです。「海の中でもっといろいろなものを見たい。感じたい!」と。まさしく“虜”になりました(笑)その後ライセンスを取得すると、半年に一度、3か月に一
度、と海へ行く頻度が上がっていきました。

Q 数ある“海のある土地”の中から、最終的に移住先として久米島を選んだ理由やきっかけは何だったのですか?
A 2013年の年越しに、福岡に住むダイビング仲間に誘われて初めて久米島を訪れたんです。久米島へは行ったことがなかったし、せっかくのお誘いだし、離島だし(笑)行ってみようと。そうしたらまたも大きな衝撃が・・・



「久米島の海の中は自分の理想だった」 


Q 数々の海へ潜ってきた神田さんにとっても、久米島の海は衝撃的だったわけですね。初めて久米島へ潜りに来たのが2014年お正月。神田さんの移住開始も2014年ですよね?スピード移住ですね。
A はい。そうなんです!あまりの衝撃で、3泊4日の久米島旅行から東京へ戻った後、4月頃には「久米島行きたいなぁ」「とにかく久米島に行きたい!」と思いながら生活している状況でした。




久米島にあてなどは全くなくて、仕事も住む場所も知り合いの一人
 もいませんでした(笑) 


Q 移住の際、仕事や家はどのように決めたのですか?久米島にはお知り合いも皆無だったとか。
A YES!まずは就活をしました。2014年10月に東京の職場を退職後、ダイビング仲間と沖縄本島や、座間味の海に潜って2週間満喫しました。その後、東京へは戻らず、一人久米島へ移動して、就職活動を始めました。もちろん、両親には前々から話をしていましたが、半分は冗談だと聞いていたのではないでしょうか?

Q その時は、ホテルに泊まって就職活動をしたということですか?
A ドミトリーに泊まりました。仕事はいつ決まるかわからないし、その部分のお金は節約したかったので。

Q 求人情報は、お店に張ってある広告などを探すイメージですか?
A 実はとても素敵なご縁があったんです。久米島到着後、就活を始める前に、まずダイビングをしてから…ということで、以前に本島の知り合いから紹介されていたダイビングショップへ行ったんです。
  初めてショップを訪れた際に状況を話していたら、そのショップがテナントで入っているホテルでまさしく求人募集をしていると。それから、履歴書を出して面接を受けて、就職をしました。その時は、「この波に乗るしかない!」と思いました。

Q さすが海好き。波乗りですね(笑)職場が決まり、お住まいはどのように探されましたか?
A 職場の寮があったので1年ほど住みました。そして今年の春、アパートへ引っ越しをしました。それも本当に良いご縁があって、職場の方がお引越しされることになり、そのアパートが空くことを教えていただいたんです。




「久米島には、今までとは違う“人とのふれあい”がありました」 

つい先日、東京から遊びに来たご友人と。ハテの浜にて。


Q 移住当初、顔見知りも皆無だった状況から、どのようにして現在の豊かなコミュニティを作りあげたのですか?
A きっかけは、職場の方との出会いでした。移住当初、正直なところ自分としては、 “島の人”は島人のコミュニティが強くあり、外から来た自分はそこに入っていくのは難しいかもしれないと思っているところがありました。でも、もしそうであったとしても、ダイビングさえできればいいと割り切っていて…でも、全く違いました!本当に、逆にこちらがびっくりでした!えええ!?というほどに。“島人”へなんとなく抱いていた最初のイメージは、完全にひっくり返されました(幸)

 

職場の仲間は皆“島人”だったそうです。島で生まれ育った方や、内地からお嫁に来た方。仕事を始めてすぐの頃、飲み会に誘ってもらったことが全ての始まりで、今でもその時のことを大変よく覚えていると、神田さんは満面の笑顔で話してくれました。東京から来たよくわからない人間に、こんなに親切にしてくれるのかと本当に嬉しかった、と。そして、友達が友達を紹介してれて、知り合いの輪が、まさしく数珠つなぎの様に広がっていったのです。しかし、神田さんは、その素敵な流れの中でただ受け取っていただけではない様です。島へ来て2か月が経つ頃、自ら動き出し始めます・・・

 

「久米島には、今までとは違う“人とのふれあい「人から人へ繋いでいただくだけではなくて、自ら発信したいと思ったんです。自分はこういう人間です・知りたい・知ってほしい!と思うようになって・・・」 

 

Q 何かを始めたんですか?
A 自転車に乗って、水筒だけ持って、島中を走り始めました。自転車で!「今日はこっちへ行こう」そんな感じで。


Q それは・・・(笑) では、自転車で島を巡りながら、人に出会ったらお話をするとか?そういった感じでしょうか。
A そうです。道端で「こんにちは~」みたいな。今でも、その時に知り合った方とも、とても仲良くしていたりしますよ。


「 久米島へ来てもうすぐ2年。東京へ戻りたい気持ちは0%。今がいい!」 

Q その理由の一番は、やはり“久米島の海”ですか?
A いや、“海”と“人“です!!

Q “人”というのは、先ほどお話しいただいた、職場の人というイメージですか?

A いえ、周りの方全部ですね。本当に周りの方みんなです。接すれば接するほど好きになります。最初は、「外から来た人間への興味本位?」なんて思ったこともありましたが、違いました。島のイベントにも沢山誘っていただいて、自分は、車の免許がないのですが、周りの人が「一緒に行こうね~」といつも声をかけてくださるんです。

Q 島へ来て、困ったことなどは特になかったご様子ですね(笑)?
A 島で暮らすことが決まったときに、自分で何か“腹をくくった”様な部分もあったのかもしれません。買い物したいと思っても、すぐには手に入らない場合もある点とか。でも、面白いことに、「ないものは似たようなものを作ろう」と思い始めるんですね。もともとモノづくりは好きなので、ネットで検索したりしながらいろいろ作っていますよ(笑)東京にいるといろいろ買ってしまうけど、“ないならない”で楽しく作るんですね。「今がとっても楽しいんです。ずっと…あわよくば、ずっと久米島にいたいなぁと思っています!」


先日、ご友人が東京から久米島へ遊びに来てくださったそうです。ご友人は「自然が多くて本当に素敵な島だね」「とっても落ち着く場所ね」「また来たい!」と口々におっしゃっていたそうで、それを聞いた神田さんは本当にとっても嬉しかった!と。また、ご友人と島を歩く中で、神田さんが数々の島人と挨拶を交わし、コミュニケーションをはかる姿を見て驚いていたそうです。神田さん自身も、あらためて「本当に人の豊かな島だなぁ」と実感したとお話しくださいました。

この度お話を聞かせていただき、神田さんは移住当初、とにもかくにも「久米島でダイビングする生活がしたい!」という“強い意志”を持って動き始められたことを知りました。そしてその強い意志が、新しい環境への土台になっていた様に感じました。そしてもう一つ、神田さんの持つ“太陽の様な明るさ・人柄・笑顔”が島の人との沢山の素敵な出会いに結びついたのだと感じました。

―koborebanashi―
izumi : 神田さんはいろいろな島でダイビングをして、久米島の海が一番好きだったという理由で、移住先が久米島になったんですよね?“海から陸 に上がった部分”では、移住先比較などは しなかったのですか(笑)?

kan : しませんでしたね!全部海の中で決めました。まさしく「水面下で決めました」よ(笑) 

~thank you~